桐島聡の自宅を特定!神奈川県藤沢市鵠沼に住んでいた。長年の逃亡生活から見える足跡とは?

桐島聡の自宅を特定!神奈川県藤沢市鵠沼に住んでいた。長年の逃亡生活から見える足跡とは?

1月25日に神奈川県鎌倉市の病院に入院していた男が過激派「東アジア反日武装戦線」のメンバー「桐島聡です」と名乗り出たという情報が警視庁公安部に寄せられ捜査中でしたが、男は末期の胃ガンを患い、1月29日未明入院先で男の死亡が確認されたことがわかりました。 桐島聡容疑者は1975年4月、東京・銀座の「韓国産業経済研究所」で起きた爆破事件で指名手配されていました。

半世紀近くに渡る逃亡生活の状況や支援者の存在、事件に対する反省や最後に本人だと名乗り出た真意などは全て本人が亡くなったことでわかりませんが、本人の住んでいた場所や勤務先からその足跡を追いかけたいと思います。

桐島聡を巡る経緯

1974年8月「東アジア反日武装戦線」が三菱重工ビルを爆破
1975年4月韓国産業経済研究所で手製爆弾が爆発
1975年5月警視庁が爆発物取締罰則違反容疑で指名手配
2024年1月上旬桐島容疑者と見られる男が神奈川県内の病院に入院
2024年1月25日男が「自分は桐島聡だ」と名乗り出る
2024年1月29日男が入院先の病院で死亡

桐島容疑者の勤務先は神奈川県藤沢市鵠沼の工務店

桐島容疑者は長年にわたり、「内田洋(うちだ・ひろし)」の偽名を使って、藤沢市鵠沼の工務店で数十年にわたり住み込みで働き、現金で給料をもらっていたとのことです。

「ウチダヒロシ」と名乗る男を知る人

「20~30年くらい(工務店で)働いていたんじゃないの、おとなしい感じの人だよ。ここのところなんか体の調子悪いって」

長年一つの会社でずっと働いていて、健康保険や年金も掛けておらず、口座も持っていなかったようですが、税金は会社から引かれる源泉徴収だけだったのでしょうか?

従業員としての扱いではなく業務委託扱いにしていたのか?又は給与を払っていたという時点で常時雇用していたとの認識が工務店側にあったのではないでしょうか?

今の時代では到底考えにくいことですが、事件があった昭和50年頃なら訳ありの人を雇って、そのまま問題をおこすこともなく真面目に働いていて今まできたと言う感じなのだと思いますが、今後の捜査で明らかになっていくことを期待します。

桐島容疑者の自宅は工務店のすぐ近く!?

桐島容疑者が住んでいたと思われる自宅APは、藤沢市鵠沼にある古びた木造2階建て住宅に一人で暮らしていたとのことです。

木造2階建て住宅の1階に住んでいたようです。両隣には今も誰か住んでいる方がいるようです。

顔を隠すこともなく、ギターを引いたり普通に生活していたようです。

男が病院に搬送される前、体調が悪化し路上にうずくまっていたところを助け、家まで運んだという60歳代の男性が当時の様子をこのように語っています。

ーこの通り沿いに倒れていた?
「この自販機のところに」

ー部屋の広さは?
「あって六畳ね。乱雑な感じで、どういう風に寝泊りしているのかなという。ストーブとかも2個ぐらいあって」

「(桐島容疑者の)あの写真の3分の2ぐらいガリガリにするとあんな感じになるかな」

自宅とみられる場所は工務店近くの通り沿いに自販機がある通りに面しています。

6畳ほどの場所で寝泊まりしていたようですね。

男はやせ細り、「買い物に行こうとして立てなくなった」と話すのがやっとだったそうです。

60歳代の男性は、「クリッとした目が桐島容疑者の手配写真と似ていた」と振り返っていたそうで、瘦せ細っても特徴的な目元は面影が残っていたようですね。

人生の大半をこのような場所で目立たないようにひっそりと生きてきて、最期にどのような気持ちで「本名」を名乗ったのか真相は本人にしかわかりません。

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